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市川右團次 (2代目) : ウィキペディア日本語版 | 市川右團次 (2代目)[にだいめ いちかわ うだんじ] 二代目 市川 右團次(にだいめ いちかわ うだんじ、1881年(明治14年)1月30日 - 1936年(昭和11年)10月16日)は、大阪出身の歌舞伎役者。本名は市川右之助。俳名家升、屋号は高嶋屋。 大阪市南区に初代市川右團次の実子として生まれる。1886年(明治19年)角座で本名のまま初舞台。のち初代市川右之助を襲名。父の後継者として人気を集め、大阪毎日新聞社の人気投票では初代中村鴈治郎を押え堂々の第一位になるほどであった。 1909年(明治42年)正月、父が市川斎入を襲名したのを受けて、二代目市川右團次を襲名。中座の『傾城大江山』で傾城鶴太夫実は蜘蛛の精を勤め好評。父の死後は家の芸のケレンや舞踊を演じ、『東海道四谷怪談』『児雷也』『鯉つかみ』などを当たり役とした。主として中芝居で活躍、初代鴈治郎の継ぐ人材として期待されていたが大成を前に早生した。 実子は二代目市川右之助(のち廃業)、孫が三代目市川右之助である。
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